「田舎」と聞いて思い出すのは、いつも三戸町の風景だった。
母方の祖母が暮らしていたこの町には、 幼い頃からよく遊びに行っていた。
昔から何度も見ている町の風景は私の中に色濃く残っており、生まれ育った場所ではないのに、帰るという言葉がしっくりくる。
祖母の家が無ければ関わらなかったであろう町の存在が、今では私の一部になっている。
身内のようで身内でない。他人のようで他人でない。
町と私の間には今も昔も変わらない距離感があり、その距離感こそが、心地よさと息苦しさを生み出しているのだろう。
だからこそ、東京と三戸町を行き来することで、自分の在りようを確認し、自分の中に足りない何かを得ているのかもしれない。